【好きを仕事に。】認定講師:福島彩乃 -前編-

挫折と経験を武器に、憧れの女子アナへ。 

北陸放送のアナウンサーを経て現在はフリーアナウンサーとして活躍している福島彩乃さん。
前編の今回は、インターン生の藤井羽里がアナウンサー就活にまつわるお話を伺いました。

――福島アナはなぜアナウンサーになろうと思ったのですか?

人前でハキハキ上手にお話するテレビの中のアナウンサーに大きな憧れがあったものの、
授業で手を挙げることもできないほど、話すことが苦手な幼少期を過ごしていたんです。
人前で話すことへの苦手意識がなかなか取れないまま20歳の誕生日を迎えた時、自分に夢がないということに気がつきました。

そこで心の中にあったアナウンサーという仕事を思い出しました。
そこからは、自信がないまま過ごしていた性格を変えようと、自分が憧れている姿に近づける努力をしました
 

――大学時代はアナウンサーになるためにどのような努力をしましたか?

アナウンサーになるために、大学在学中にお天気キャスターを経験したり、アナウンススクールに通ったりしていました。

ミスコンの受賞歴やリポーターのような経験が、就活で必要になるのではないかと焦っていたので
民間気象会社ウェザーニュースのお天気キャスターや福井放送で30分の旅番組リポーターなどにも挑戦していました。

お天気キャスターをしていた時は、ウェザーニューズの本社がある千葉県に住みながらキャスターをする必要があったので、
キャスター期間の約4か月間は、千葉在住で金沢大学(石川県)に通う必要がありました。
実際に大学へ足を運べない期間は、当時のゼミの先生に熱意を伝え、
オンラインで課題を提出するなどして配慮していただき、夢を応援してもらいました。

お天気キャスターをしていた4か月間は、東京の学生と同じ環境でアナウンス技術を学べるチャンスと捉え、
テレビ朝日アスクに通ったり、夏季休暇の間にフジテレビのアナトレ(夏の短期集中講座)に通ったりしていました。
 

――先生に直談判してまでお天気キャスターに挑戦する行動力があったからこそ、憧れのアナウンサーという夢をつかめたんでしょうね!たくさんの経験をされていますが、挫折などはありませんでしたか?

当時、知り合いのテレビ局のプロデューサーに「君の声ではアナウンサーになることはできない。」と言われ、
自分の声がコンプレックスになったことがありました。

その時は必死になってボイストレーニングの本を読み漁って、自分で大学の総務に掛け合って防音の部屋を借り、
発声練習を1時間×週3回ほどやっていました。今思えばプロデューサーの愛のムチでしたね

 

――挫折があったからこそ今の声を手に入れられたということですか。さまざまなことを経験してらっしゃいますが、学生時代のリポーターなどの経験は就活などで役に立ちましたか?

役に立ったと思います。でも、アピールの仕方には気をつけました。
もし「私はリポーターをやっていたので経験豊富です!」というアピールをしていたら、結果は変わっていたかもしれません。

リポーターやキャスターをしていた経験を「行動力や瞬発力があります」という形でアピールしたことが良かったと思います。

放送局によっては、「未経験な人を一から育てたい」と考えている局もあるので、
経験自体をアピールするより、自分の長所と結び付けてアピールする方が良いかもしれません。

――経験したという事実よりも、それを通してなにをアピールするのかが大事になるのですね。就活の時の自己PRは誰もが悩む問題だとは思いますが、どうやって考えましたか?

自分の魅力は自分ではなかなかわからないものなので、
私の場合は大学で講義を担当していらっしゃったテレビ局の元プロデューサーに一緒に考えてもらい、
自己PR作成や面接練習で助けてもらいました。

身近な人に客観的にどう見えているか教えてもらうことは良いことだと思います。
実際に自己PRをするときは、「私には行動力があります。」と端的に分かりやすく言ってから、
詳しいエピソードを話す形が伝わりやすいと思います。

 

――なるほど。就活はテレビ局・ラジオ局・一般企業それぞれ何社受けましたか?

就活では、全国の放送局約30社と一般企業の10社を受けました。

一般企業の方が先に内定をもらえたのですが、アナウンサーの夢を諦められず就活を続けました。
色んな業種の企業も受けることで「自分はなぜ、どれくらい、本当に、アナウンサーになりたいのか」明確になり、
アナウンサー試験でも活かされた気がしています。

放送局の中には北陸放送のようにラテ兼営局(テレビもラジオも放送している局)が全国には多くあります。
そういった局を受けるなら、自分の中で「今の時代におけるラジオ(音声メディア)の魅力」を考えておくと良いと思います。

 

――アナウンサー就活は、一般企業とは内容も少し異なりますよね。就活の時の面接はどのような内容でしたか?

そうですね。局が大きくなればなるほど志望者が増えるので、特にキー局・準キー局の面接は私が受けたときは
まるで流れ作業のようでしたね。
その場合持ち時間は約1分間で「なぜアナウンサーになりたいか」「自己PR」の2つはマストで聞かれました。

地方局でも、往復8時間かけて面接に行ったのに1分の原稿を読むだけで終わったり、
面接中あまり反応がなかったりと、圧迫面接なようなものもありました。

いかにもプロデューサーというような方がいたら、小心者の私はそれだけで緊張しました。

 

――アナウンサー就活ならではの珍しい面接はありましたか?

「この傘の良いところを1分間説明してください」「この写真を見て1分間フリートークをしてください」
という実践に近いようなトーク力が問われる面接がよくありましたが、これはアナウンサーの就活ならではだと思います。

――就活で失敗したなと思うことはありますか?

失敗談と言えば、企業説明会の放送局のブースに一般的な就活用のグレー色スーツを着て行ったら
「もっと自分を表現できるものを着なさい」といわれたんです。

その後、混乱したままフリルのついた濃いブルー色のシャツを面接のときに着ていったら、
今度は新人らしくないからやめなさいといわれて…。(笑)

最終的には上下白のスーツでインナーは襟付きカラーシャツを着用しました。
どちらかと言うと黄み肌だったため、顔色がよく見える薄いブルーのシャツは重宝しました。

また、熱意を伝えたいあまり「地方から全国に羽ばたけるようなアナウンサーになりたい」と地方局でアピールしてしまい…
まるで「採用されても辞めます」と言っているような感じになり、猛反省しました。

本音は「全国に誇れるアナウンス技術を目指します」ということだったので、自分の空回りする性格を悔やみました。

 

――アナウンサー就活に必要なことは何だと考えますか?

長所をアピールできる材料があることだと思います。
学校のイベントやバイトといった身近なことでも、「自分がどんな思いでどんな風に取り組み、課題を解決してきたか」
ということをわかりやすく表現できたら良いと思います。

私の場合は、大学在学中に立ち上げ間近の放送局で運営に関わったことや、
金沢大学に通いながら千葉県でお天気キャスターをしていたことなどをストーリー仕立てで話しました。
上手くできたことばかりじゃなくても失敗をどう改善したかをアピールすれば良いと思います。

あとは、自己分析をたくさんしました。ノートに小さいころの思い出を書き出して、「なぜそうしたか」とか、
「こういう経験があったからアナウンサーになりたいと思った」とかを書くんです。最終的にはノート3冊分になりました。

入念に準備をしていたので、いつどんなことを聞かれても、自分の言葉で答えることができました


  引っ込み思案な自分を人一倍努力することで卒業し、憧れのアナウンサーという職業を掴んだ福島アナ。
きっかけから経歴まで、とても興味深いお話でした。
後編はアナウンサーのお仕事に関して深堀りします!お楽しみに!
 


インタビューしたのは…

トークナビ インターン 藤井 羽里  ( Fujii Uri )