【好きを仕事に。】認定講師:福島彩乃 -後編-

スキルを活かし、一生アナウンサーとして社会貢献を。

北陸放送のアナウンサーを経て、現在はフリーアナウンサーとして活躍している福島彩乃さん。
後編である今回はアナウンサーのお仕事にまつわるお話を聞かせていただきました。

――局アナ時代の1日のスケジュールを教えてください。

アナウンサーの勤務時間は、担当する番組によって大きく異なるので、番組改編(年に4回)ごとに変わる可能性があります。

また朝のニュースやラジオを担当する日には6時から15時の朝勤務になったり、
夜のニュースを担当する日には15時から23時勤務になったりと、曜日ごとに出勤時間がまちまちなので、
規則正しい勤務時間ではありません。

1つの例ですが、出勤後に10:00のラジオニュース、正午のテレビニュースを読んだ後に、
午後はラジオのワイド番組(13:00~16:30)を担当する曜日もあれば、次の日は午前中は報道取材に行って、
その後は夕方のニュースキャスターの仕事に向けて準備、本番という曜日もあるなど、
「同じ仕事をしている」という感覚は全くなく、毎日刺激が多かったです。

 

――人によってスケジュールは異なるんですね!新人時代に苦労したことはありますか?

入社したのが「日本海側で一番古い放送局」の北陸放送だったので、
私が入社した時には大ベテランのアナウンサーがたくさんいらっしゃって、
アナウンス技術だけではなくアナウンサーとして仕事をするプロの姿勢に至るまで、
今につながる教えを叩き込まれた新人時代でした。中には体当たりロケもありました。

特に思い出に残るロケは、ウェイクボードに乗れるまで海で挑戦し続けるというロケでした。
その日はたまたま海が真っ白になるほどのクラゲがいて、半袖半ズボンのウェットスーツの私は
ウェイクボードに乗る事によりクラゲに刺されないかという事の方が気にかかってしまって…

結局なかなかウェイクボードに乗れない焦りが募る中、
人生で初めてクラゲに刺さたパニックで「もう海に入れません」と涙を流してしまいました。

そこで「アナウンサーは番組を観ている人と現場の雰囲気を作る職業だ。
色んな人の思いを背負っているんだぞ。」と声をかけられてハッとしました。

それからはどんなロケだろうと、私生活や私的な感情は出さないようになるべく心がけています。

――過酷なロケもあったんですね。その他に意外な仕事はありましたか?

華やかなイメージが強いアナウンサーですが、人目につかないような仕事も大切です。
自分で企画して、アポを取って、マイクを持ってリポートし、原稿を書いて編集…
と、自分の担当は全て自分でやることもあります。

特にラジオの現場では多く、収録ブースで録音して、それを自分で編集してということも多いです。
「準備・原稿書き・編集」は喋りの仕事とは関係ないように思えるかもしれませんが、これを経験したからこそ、
求められているコメントがどのようなものか理解できるようになったり、アナウンスが上手くなったりします。

 

――JNNJRNアノンシスト賞優秀賞を受賞した経歴もある福島アナですが、アナウンス上達の秘訣は?

『アナウンスは1日にしてならず』。日々の積み重ねが大切です。
毎日継続することで、自分では気づかないくらい少しずつうまくなります。
1年前のアナウンスを聞いて下手だったなあと思った時に初めて、上達を実感できるようなものです。

アノンシスト賞を受賞した時は妊娠8か月の時。
アナウンススキルが落ちてしまわないかと現場を離れることに抵抗があったのですが、受賞は自信に繋がりました。

もう1つは『素直になること』です。

プロとしてきちんと伝えるということが当たり前の世界なので、上手くできても褒められることはあまりありません。
褒められずに指摘ばかりされることもよくあることですがそれを素直に受け入れることが大切です。

――アナウンサーになって私生活に変化はありますか?

アナウンサーはあくまでも脇役なので、インタビュー相手より目立たないようなかっちりとした服が増えました。
自分が一人で出演する時には画面映えするようなきれいな色合いの服を選ぶようになって、
真っ白や黒、細かいボーダーは選ばなくなりました。

仕事でも使える、洋服が主役にならない服を探していたら、着るもので挑戦出来なくなりましたね。

また、放送されていないときでもアクセントを注意されるのが当たり前な生活を送っていると、
生活の中でも言葉のアクセントが気になって仕方ありません。
特にラジオでは何時間もしゃべりっぱなしの番組もあるので普段から気を付けていないとうっかり出てしまいますから。

それの影響で、普段友人との会話でも相手のアクセントが気になって、話の内容が入ってこないこともあります。(笑)

 

――幼いころから方言を話していた人は、やはりアナウンサーになるには不利にもなるのでしょうか?

自身で方言のアクセントと標準語のアクセントの違いが認識できてないなら、常に気を付けるようにしなければなりません。
(私の新人時代は認識できていなかったので苦労しました)
私は一度も東京で暮らしたことがなく、生まれも育ちも、家族も、入所した局も全て「金沢」だったので、
「金沢弁」がなかなか抜けず、アナウンサーになって最初の3、4年は私生活でもアクセント辞典を引いていました。

標準語を話せる人と沢山会話したり、キー局のテレビやラジオを聞いて違いを研究したりして標準語を身に着けました。

一番良いのは方言と標準語を自由自在に切り替えられるようにできることだと思います。
そうなったときに、方言も話せるアナウンサーは、方言を大きな魅力に変えることができるので、不利とは言い切れません。

 

――局アナの経験を経て、今の仕事を始めたきっかけはなんですか?

樋田かおりアナウンサーとは同期で、20歳の時にウェザーニュースのお天気キャスターとして出会い、
昔から尊敬する友人でした。

私は北陸の地方大学出身なので、理由もなくアナウンサーを目指すことを諦めていたのですが、
樋田さんとの出会いがきっかけで本気でアナウンサーを目指そうと決意したのです。

局アナ時代もアナウンサーならではの悩みを相談しており、
今回フリーアナウンサーになったのをきっかけに人生を相談したところ、
トークナビや日本アナウンサーキャリア協会の取り組みを教えてもらい、
仕事内容やその精神に惹かれて、一緒にお仕事させていただくことになりました。

 

――現在の業務内容はどのようなものですか?

アナウンサー講師として、ヒアリング研修やプレゼン研修、食リポ研修も行っています。
また、女子アナ広報室(現在2社の広報担当)の一員としても働いています。

――講師・広報をやっていてやりがいを感じたことや嬉しかったことはありますか?

局アナとして培った知識や技術がこんな風に活かせるんだ!と感激しました。

例えば、局アナとして知らず知らずの内に身についた「正しくきれいに分かりやすく話す」という技術を、
アナウンサー講師という立場で活かすことで活躍の場を広げる事ができ、やりがいを感じます

また「企業の良い所を発見し魅力的にアピールする」技術も、アナウンサー技術を応用した事で、
色んな角度からアナウンサーとして成長し続けていることをと実感できます

こういった自己実現に加えて、担当企業の方々からの感謝の声を直接聞けることがなによりもやる気に繋がります!

 
――今後の目標はありますか?

 アナウンサーとして技術を磨き続け、地方にいても全国レベルの仕事をし続ける事です。
かつて「女性アナウンサー30歳定年説」が囁かれていたように、
女性アナウンサーは寿命があるかのように思われることも多いです。

しかし、トークナビ・日本アナウンサーキャリア協会では、
アナウンサーとして身につけた技術を講師として存分に活かすことができます。

また、インターネットが普及したからこそ、地方アナウンサーでも全国で活躍できます。

そんな土壌を作ってもらえたことに感謝しつつ、一生アナウンサーとして社会に貢献していきたいです

――では最後に、アナウンサーになってよかったと思うことはなんですか?

普段会えない人に出会えることです。
自分だからではなくて、 “アナウンサー”というマイクをもった人だから、
国民や県民を代表して話を聞かせてもらえることに、大きな喜びを感じていました。

インタビュー相手が著名人でも一般人でも内面をのぞかせてくれるのは、アナウンサーという職業に就いた人の特権です。


  アナウンサーには華やかな印象がありますが、見えないところで地道な努力や苦労があるのですね。
とても貴重な局アナ時代のお話を聞くことができて勉強になりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!  


インタビューしたのは…

トークナビ インターン  藤井 羽里  ( Fujii Uri )