【好きを仕事に。】認定講師:樋田かおり–前編–
始まりは偶然。アナウンサーは「いろんな自分」に出会える仕事。
青森放送でアナウンサーとして様々な経験をし、独立後現在株式会社トークナビの代表取締役として活躍されている樋田かおりさん。今回は、トークナビを設立する前の樋田さんについてインタビューしました。
__まず初めに、アナウンサーを志したきっかけは何ですか?
高校生の時に、 NHK杯全国放送コンテストという大会に出場したんです。
その時にアナウンス部門で優秀賞をいただくことができ、声で伝える・表現する仕事に興味をもったのが始まりです。
また高校時代には放送部に入り、高校野球の県大会でウグイス嬢をしていました。
キャッチャーの裏側の放送席から「4番ピッチャー〇〇くんっ」というアナウンスをするのですが、
頑張れという気持ちを込めるだけで声が力強くなったり、
会場によく届くようにと思って声を出すだけで、声の表情が出てくるということに感動して、
伝える仕事って面白いなと思うようになりました。
__高校時代は放送部に所属されていたのですね。その放送部に入ったきっかけは何ですか?
高校でいろいろな部活が勧誘活動をしていた時、たまたま通りかかった先輩が「放送部面白いよ」「野球のウグイス嬢できるんだよ」と声をかけてくれて、
体験会に行ってみたらそこにはイキイキとお話する先輩方ばかりがいて、その姿に惹かれて入部を決めました。
ただ、私はもともと人見知りで、人前で話すことや大きな声で話すことがものすごく苦手でした。
放送部に入ってから毎日発声練習をするうちに、ようやく大きな声が出るようになりました。
__偶然声をかけられて放送部に入部することになって、それが今の仕事に繋がっているなんてとても奇跡的ですね。それで高校時代からアナウンサーになりたいなと思い始めたのですね。
そうなんです。朗読やアナウンス原稿の読み上げは間のとり方やスピードで大きく伝わり方がかわることや、
「自分ではない自分」になれるような気がして、そういった面で表現することの面白さにのめりこんでいきました。
もしもアナウンス大会で優勝して全国大会に行けたら、アナウンサーになれる可能性が少しはあるのではないかと思い、
「もし優勝できたらアナウンサーを目指そう!」というマイルールを作って部活動をしていました。
__ そして実際に優勝を勝ち取り、その「マイルール」に則ってアナウンサーを目指すことになったのですね。
その後、大学生活はどのように過ごされましたか?
大学生の時は「アナウンサーになりたい」という夢に向かってまっしぐら、アナウンサーの仕事に役立ちそうなアルバイトをたくさんしていました。
最初は週末に開催されるキャラクターショーのお姉さん(会場MC)をしていました。
100人くらいの親子が観に来るイベントで進行役として会場を盛り上げる仕事でした。
その他、展示会で企業様が PR したい商品のナレーションをして人を呼び込んだり、
よさこいやコンサート、学園祭の司会など会場を盛り上げるアルバイトを繰り返すうちに、人前で話すということに慣れていきました。
それに加えて、もっと将来に繋がる経験を積みたいと考え、千葉県の幕張にある気象会社ウェザーニューズが主催するお天気キャスターオーディションを受けてみたところ、
2100人の中から奇跡的に合格!
住んでいた名古屋から毎週東京に通い、お天気お姉さんの仕事もさせていただきました。
また、アナウンサーになるためのアルバイト以外には、派遣で10種類以上のアルバイトを経験しました。
クリスマスの時期、サンタクロースの風船の人形に空気を入れるアルバイトや、ナゴヤドームの試合でチケットをもぎるアルバイト、PRのビラ配りやティッシュ配りのアルバイトなど。働くことに対して興味があったので、「迷ったらやってみる!」をモットーに
声の仕事以外も挑戦しつつ、
アナウンサーという夢に向かって、話の引き出しを多くつくれるよう様々な経験を積むことを心がけていました。
__その後地方で局アナウンサーとして活動されたとのことですが、そこではどのような仕事をされていましたか?
大学卒業後、日本テレビ系列の放送局に新卒で入社しました。そこはテレビとラジオが両方ある放送局で、
テレビは情報番組MCと、東京でいう news every. のお天気キャスター等を担当していました。
ラジオは定時ニュースで、時報がなるごとにニュースをお伝えしていました。
その他にも、7時間もある生放送のラジオ番組でパーソナリティをさせていただくなどアナウンサーとしてのあらゆる道を与えていただきました。
特に7時間生放送の番組では1日でもう何人もの著名人、地元の活躍する人、地元タレントの方がゲストにこられてインタビューするんです。
そこで自分は番組パーソナリティとして「伝える」仕事ももちろんするのですが、
相手の人生を引き出すためにインタビュアーとして「聞く」という仕事の機会に恵まれ、アナウンサーはゲストを引き立たせる最強の“脇役”であることが大切だと学びました。
__局アナ時代に苦労したことは何かありましたか。
新人時代は全てが初めてでどの現場も苦労しました。テレビもラジオも生放送の機会が多かったので、一瞬一瞬の勝負。
一言話してそれがもし間違っていたら、放送事故になってしまいますし、何気なく発言したことが受け取り方によっては人を傷つけてしまう言葉になっていないかなど、最初のうちは発言することがものすごく怖かったです。
決まったコメント以外の発言のときは入念に下調べをして、間違いがないように心がけていました。
たくさんの方がニュースを聞いているので、どの年代の方が聞いても失礼のないような言葉選びをして伝えるというところにも気をつけていました。
ただどんなに準備をしても時間が足りず、試行錯誤している中でも決まった時間にあたりまえに生放送が始まるので、時間との戦いの毎日。
理想とするアナウンサー像と現実の自分の実力が離れすぎていて、先輩からのアドバイスがすぐに実行できないこともありすごく苦しい時期もありました。
__局アナ時代、テレビやラジオの生放送などを通してさまざまな経験をされた中で、今に繋がっているなと思う点はどういうところですか?
時間の使い方は繋がってると思います。生放送は一分一秒を争う現場なので、常に状況判断と時間管理が大切になってきます。
しかも1日のうちに生放送の番組をハシゴすることもあるんですよ。そうすると、番組ごとの雰囲気や内容に合わせて話し方を変えたり、番組ごとに着替えもあり、1日で3回着替えをすることも。その度に場に合わせて振る舞いを変えたり、声を使い分けて対応する必要があります。
グルメリポートだと明るいテンションで伝えるのですが、ニュースのときは感情をいれすぎず、その番組に合う話し方にして、番組の方向性にあわせて表現を変えていたんです。1日のうちに3人ぐらいの自分になるようなことで。
それが今の生活とも少し似ているなと思っています。今は、講師の仕事をする時間もあれば、経営者としての仕事をする時間もあり、またアナウンサーとしてイベントの現場に立つ時間もあるので、時間をうまく使い「求められたことにあわせて柔軟に変化する」ところがなんだか似てると思います。
インタビューしたのは…
トークナビ インターン 泉 歩莉(Izumi Ayuri)
アナウンサーを志すきっかけとなった放送部への入部が偶然のものだったとお聞きしてとても驚きました。
まだ将来やりたいことが決まっていない中お話を聞いたことで、どこに将来やりたいことを探すきっかけがあるか分からないので、いろんなことに挑戦していこうと思いました。
元々は人前で話すことが苦手だったそうですが、様々な経験を積んで変化し、今は声を仕事にして活躍されている樋田さんはとてもかっこいいと思います。
後編では、トークナビ設立のきっかけや、現在の仕事について伺います。お楽しみに!!