【好きを仕事に。】認定講師:加藤美子-前編-
苦手意識から「面白い」に。
ケーブルテレビ局アナウンサーとして様々な経験をしたのち、現在は女子アナ広報室や講師として活躍する加藤美子さん。
前編である今回は、加藤さんの学生時代やケーブルテレビ局時代のお話を伺いました。
――まず初めに、アナウンサーを目指したきっかけを教えてください。
小学校・中学校・高校となぜかリーダーとして人前に立つ機会がすごく多かったのに反して、
人前で話すと緊張して顔が真っ赤になってしまっていました。
人前に立つ機会が多いにも関わらず、緊張しがちなことにずっと悩んでいて、
それを直したいと思ってアナウンサースクールに通うことにしたんです。
昔、祖母がアナウンサーに憧れていたというのもあって、興味はもともとあったのだと思います。
通っているうちに「話すのって面白いな」と思うようになりました。
――大学時代に通っていたアナウンススクールではどのようなことを学ぶのですか?
アナウンサーになりたい子がたくさん集まっているので、もちろん発声などの声のトレーニングもするのですが、
同時にメンタルも鍛えることができました。
一緒に就活を乗り越えるための戦友ができましたし、今もみんなの活躍を見るのが楽しみです。
あとは、朗読やCMのナレーションなど幅広く挑戦してみて、
本当にアナウンサーという仕事が自分に向いてるのかをスクールで学びながら考えていました。
――そのほかに学生時代にされていたことはありますか?
地元の岐阜県でラジオのパーソナリティをしたり、選挙カーのウグイス嬢を経験したりと話す経験を積んでいました。
その経験のおかげで、学生の頃から岐阜の方々との関わりがありましたね。
大学のゼミではアメリカの外交政治について学んでいたのですが、そのゼミでの活動がとても好きでした。
政治に関するニュースを見たり、アメリカのテレビ見たり…
メディア全般にすごく興味があって、それもアナウンサーを志したきっかけの一つだったと思います。
――大学卒業後、ケーブルテレビ局では具体的にどのようなお仕事をされていましたか?
みんなが思い描くようなアナウンサーの仕事というより、
幅広い業務が出来る“なんでも屋さん”がケーブルテレビ局の特徴でした。
アナウンサーもやりつつ、記者もして、ディレクターもして、
自分でカメラを持って取材にも行っていました。
あとは発注書や請求書、企画書を書くなどといったデスクの仕事もさせていただきました。
――その中でも特に今の仕事に活きていると思うことはありますか?
アナウンサーとしての経験はもちろん役立っていますが、一番は“対応力”かなと思います。
バラエティー番組では、毎週違ったゲストを招いて番組を作っていました。
土地柄、年配の方も多く、どんな現場でも上手くコミュニケーションを取りながら
場の雰囲気をつくる力は、そこで培ったものだと思っています。
ケーブル局時代に様々な仕事を経験したおかげで、
自分が「演者」だという意識があまりなかったからこそ、
営業や広報など様々な分野への苦手意識が少なかったことかもしれません。
アナウンサーはフリーになると、自分で営業をして人と上手く関係性を築かないことには次呼んでもらえないんですね。
自分が「演者」だという意識があまりなかったからこそ、そういう面においてうまくやれていたと思います。
次の現場に繋げようっていう意識だったり、他のお仕事に繋がるようにと考えたり、
営業のような動きは、前職で働いていたからこそ得られた力で今の仕事にも活きているなと感じます。
――ケーブルテレビ局時代に苦労したことはありますか?
小さい局だったので、他に代わりが利かなかったことが大変でした。
私の場合は、バラエティーも報道も現地リポーターも全部やらなければいけなくて、
どうしても体力的に精神的に厳しい部分もありました。体調管理に苦労したなっていうのを覚えています。
苦手意識を克服して「面白い」「楽しい」に変え、アナウンサーとして活躍する加藤さん。
今回は加藤さんのこれまでについて伺いました。
後編では現在のお仕事や普段心がけていることについて伺います。お楽しみに!!
インタビューしたのは…
トークナビ インターン 泉 歩莉(Izumi Ayuri)