【好きを仕事に。】認定講師:町田満彩智 -前編-
O Lから女子アナへ。話し手へのキャリアチェンジ -前編-
日米政府機関の広報担当から、ミス沖縄として沖縄親善大使も務めた町田満彩智さん。
前編の今回は、インターン生の飯田芽生愛がこれまでのお仕事についてお話を伺いました。
――町田さんは大学卒業後、どのようなお仕事をされていましたか?
大学卒業後は日米政府機関の広報担当として働いていました。
プレスリリースを作成し、細かくチェックをして、メディアに向けて発信するお仕事等です。
内容や分野も様々だったのですが、専門家の方々からお話を聞くことがすごく好きで、ご自身の分野を極めて情熱を持って語る姿が印象的で、心動かされたのを今でも覚えています。
専門性の高い内容でも多くの方に知ってほしいと思い、読みやすくわかりやすい言葉にして発信することに力を注ぎました。
そんな経験を積ませていただく中で、オフィスワークから話し手の仕事にチャレンジしたいと思うようになりました。
沖縄で生まれ、おじいおばあから戦争体験や命の大切さを聞いて育ったので、私も沖縄の文化や和について発信し、
社会貢献できるような人になりたいという想いを強く持っていました。
――親善大使も務められていたのは、発信したいという思いからだったのですね。年間300日近くお話をするハードなお仕事だと伺ったのですが、どのような日々でしたか。
親善大使のお仕事は、強い責任感と感謝の気持ちを持って臨んでいました。
ミス沖縄はお人形ではなく、お話をするお仕事。
公式行事でのスピーチから、知事と日本国内だけでなく海外を周ることもあり、
交流や交渉の場面で、沖縄の文化や歴史についてお話をする役割をいただいていました。
その際、ルールとして「現場では原稿を持たない」ことがありました。
日々お話する内容の原稿も自分で考えなくてはいけなくて。
ネットに載っている情報だけだと、通りいっぺんの言葉で伝わらない。
だから実際に、平和関連から環境関連施設まで全ての場所に足を運び、お話を聞いて学んで文章を考えていました。
自分の言葉で考えた原稿を何度も練習して、緊張した時も自然と言葉が出てくる状態まで体に慣らして、
日々現場に立たせていただく。そういった経験をさせていただきました。
――自ら足を運び、原稿を作成して覚えて、お話をする。これは本当に大変なお仕事だと思うのですが、悩むことはありましたか。
基本的に私はかなりの臆病者なんです。
だから、自分が発する言葉で相手を傷つけてしまうことがものすごく怖くて。
そういったことが絶対にないように、一人でも多くの方に喜んでいただけるように、言葉の選び方や表現にはいつも向き合っています。
悩んで考え抜いた言葉が、誰かの心を明るくしたり、背中を押すものであってほしいと思っています。
発信する上で迷ったときは、相手に感謝の気持ちを届けられているか、尊敬の気持ちが伝わる言葉かどうか、常に自分に問い続けています。
人間は理性的な生き物だと言われていますが、感情に左右される生き物でもある。
心は行動や言葉の端々に現れると思っているので、相手に対する思い(心根)の部分は、とても大切にしています。
――お話しする上で、心がけていることはありますか。
いつもやっていることに+αの準備をすることを心がけています。
現場では必ず想定外のことが起こるという意識で、基本の準備だけではなく、緊急時や様々な場面も想定して準備をします。
本番当日もなるべく早く現場入りをして、ご挨拶や進行の確認、会場設備や現場の雰囲気を把握するようにしています。
本番直前や本番中に変更事項が発生することもあるので、常にアンテナをはって、周りをみながらお話することを心がけています。
「町田さんに任せてよかった。またお願いしたい」と言っていただけることが本当に嬉しくて、やりがいに繋がっています。
お仕事を任せていただいた責任感を持って、相手が思っている以上のものをお届けできるように、これからも精一杯頑張ります。
▶︎インタビュー記事(後編)はこちら
【取材後記】
日米政府機関の広報担当から沖縄親善大使まで幅広く活動されていた町田さんですが、
どの仕事も『発信』していくという点では、共通しているように感じました。
前編では、町田さんのこれまでの経歴についてお話を伺いました。
後編では、トークナビでのお仕事についても深掘りしていきます。お楽しみに!
インタビューしたのは…
トークナビ インターン 飯田 芽生愛 ( Iida Meia )
早稲田大学 社会科学部
高校時代に全国高等学校弁論大会で優勝。
言葉で伝えることの大切さを実感し、記者をはじめ報道制作に携わりたいと考えている。
全日本チアダンス選手権大会への出場経験あり。